2012年09月09日

迷い鳥

akisora.jpg
「もういくの?」 「いいや、まだ一緒にいたいなぁ」



白露をむかえた。

立秋を過ぎて暦上ではすっかり秋だが、
まだ夏の太陽はさんさんと照りつける。


はるか上空では、夏と秋とが
来年までのあいさつを いつしよう、いつしようと
照れくさいようすが目に浮かぶ。

夜気が冷え込みはじめ、
その心地よさから感じとれる
どこかわびしい秋の訪れだ。



台湾・フィリピンなどで冬を過ごすツバメたちは、
南へ帰る準備で大忙しの季節でもある。

9月は準備にいそしみ、
10月下旬ころから旅立ちがはじまる。

白露の末候には「玄鳥去(つばめさる)」と
あるのも納得できる。



あの小さいからだで飛んでいく。

順風満帆とはいえない長旅でもあるだろう。


月や太陽の位置で方位を知り、
星座で自分の位置や進む方向を知るそうだ。

人間が忘れかけている宇宙という枠組みで感じて、
ただ自分のやるべきことのために純粋に生きている。



感慨深い話を聞いた。

千葉・青森間の伝書バトの競争で、
昔は99パーセントの確率で戻ってきたそうだが、
いまは半分以上が帰ってこないという。

急速に発展したGPSなどの電磁波が
ハトの感覚機能に影響を与えているようだ。


鳥だけではない。
イルカやクジラも座礁する。

電磁波の照射と座礁を照合すると
一致している。



ツバメも例外ではない。

日本にもどる数が減っている。


山里を好むはずの野鳥が
電磁波網には近づかない。

いや、生存欲求のある動物は
本能的に近づけないのだ。

もちろん、人間も。



見えないだけで影響は受けている。

文明は素晴らしい恩恵を与えてくれるもの事実。

しかしその反面で
やるせない症状を与えてくれるもの事実だ。




信じられないようだが、一度発症すると
ほんのわずかな電磁波でも反応してしまう
電磁波過敏症という症状がある。

時として、耐えがたい苦しみが襲いかかる。


物理的・化学的・生物学的・社会的 心理的
など複合的な要因のストレスが
からだの許容値を越えたときに発症する。


論より証拠。

ブレーカーを落として暮らしてみると
身体が受けるストレスが違うことに気づく。



物事は小さな積み重ねで成り立つもの。

その小さなものが大きくなり、
結果となる。


そこにあるのは笑顔か、
はたまた手に負えない現実か。

積重ねの質と量によってくるだろう。



われわれにできることは
たくさんある気がしてならない。

まずは知ること。そして行動すること。


小さな積み重ねの行動の内容を
いま一度考えるべきだ。

ツバメやイルカやクジラやハトが
すでに教えてくれているのだ。



夏とも秋ともいえない空を見上げると
成田発のジェット機が
なめらかな飛行機雲を描いていた。

1分もたたないうちに、
美しい余韻を残し
風とともに はかなく消える。


美しいと感じられるだけ幸せであると
見上げながら考えふけった。

いまでも、その飛行機から出る電磁波にも
反応して呼吸困難におちいる人を想いつつ。


その人たちも、私たちに重要なことを
教えてくれている大切な人たちといえるだろう。



勇敢なツバメが飛び立つ姿を見てみたい。

長旅の無事とまたの出会いを願いつつ。


ツバメよ。

あなたはどこへ行かれるのですか。



ナチュラル・ハーモニー 尹東三
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2012年07月05日

こんにちは、さようなら、そしてよろしく化学物質(生活環境の事実)A 「はじめにA―事実」


衣食住の環境を見渡してみると、
あらゆる化学物質に囲まれています。

直接触れてなくとも、揮発する空気を、
私たちは無意識に吸っている。


私たちが1日に吸う空気の量は、
女性で約18キロ、男性で約20キロといわれるほど。

一生涯に吸入する空気の種別を見ると、
室内空間がなんと57%。

体感的に意識しやすい食べる・飲むという
行為を合わせても約15%なのです。

空気との付き合いが真剣にならざるを得ず、
その空気にはもちろん化学物質が同居しています。



気温が高くなるとともに
揮発する量も上がります。

これからの季節は、
部屋を閉め切りエアコンで冷やす
という方も増えるでしょう。

そうすると、望みはせずとも、
行き場をなくしたVOC(揮発性有機化合物)が
私たちをあたたかく(?)包み込んでくれます。

そしてシックハウスに、そしてCSに……。



これから身時な生活環境に実在する化学物質が、
私たちとどのように同居しているのか、

シックハウス・スクールとは、

CSとは、

ESとはなにかなど、

生活環境全般について連載していきます。


また実際にCS、ESの方が
どのような状況で発症したかも伺うだけでなく、
その回復に向かう希望の仮定など
生の声も多大なるご協力のもとに
掲載させていただく予定です。



もちろん私たちは、
さまざまな化学物質の恩恵を受けて生きています。

CSやES発症者以外でも、
人的に、または地球環境的によろしくなく
作用する場合も多いでしょう。

容認し難いこともあるでしょう。


だが、どう付き合っていくかを
考えるのが重要だとも感じます。


なぜなら、100%完全に無くす
ということは現状では不可能に近いことでもあり、
仮にできたとしても、その間にも
化学物質が実在する状況は変わらないからです。



そのような観点から今回のタイトルは、

 気づく・向き合う意味から「こんにちは」、

 選択する・避ける意味から「さようなら」、

 いかに害のないように改めて付き合いを
 もっていくという意味から「そしてよろしく」

とつけました。

決して化学物質を全面容認したり、
大賛成という訳でつけたものではありません。



この連載企画を通じて、
善悪を決めたり、否定したり、
恐怖をあおったりするつもりはありません。

「もの」自体が善悪でなく、
使う人の感性や状況でいかようにも
変化すると思うからです。

その現象をどんなメッセージと捉えるかも、
それぞれの判断となります。



だけれども、「事実」として起こる現象は、
「事実」として包み隠さずお伝えしていきます。

その事実を頭の片隅に残して、
みなさんが何かを選択をする際の
判断材料となれば嬉しいです。


また、一人でも多くのひとが、
健やかに楽しく過ごせる環境を、
ほんの少しでもつくるお手伝いができれば嬉しいです。

それが連載の目的であります。



【まずできることとして】


VOCは24度で揮発が抑制できる、

という情報もありますが、
全ての場所の温度を正確に測ることは難しく、
あくまでも目安としてお考えください。



周囲を含めた生活環境によりますが、
室内の換気を意識して行うことをお勧めします。

換気扇だけでは一方通行になってしまうので、
空気の入り口を作ってあげて
換気扇を回すのが良いでしょう。

換気扇との対角線上にあれば、
入口からの空気が室内空気を巻き込んで
出口へと運ばれやすくなります。



気密性のある住環境では換気扇だけですと、
特に一軒屋の場合、床下の白アリ駆除剤や
構造内部の化学物質をコンセントの差込口から吸引して、
VOCの摂取量が多くなってしまうという例もあります。


(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三
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2012年07月04日

自由の国≠ナの不自由な出来事C(最終話)「新たな『黒船』」


自由の国≠ノ「自由」はないのか。


しかも生きる上で欠かせない「食」に対しての
栽培方法や選択の権利などの自由が
法律によって奪われる。

これはますます見逃せない。


国家は国民を守るものではなかろうか。

国の大地を守るものではなかろうか。

国家が法律を振りかざし、
国民を窮地に追い込む状況を
見逃してよいものだろうか。



情報や物の移動が速い現代においては、
反対の声を押しのけて、
いともたやすく不必要なものを
輸入≠オてしまうのは
戦後の動きを見れば一目瞭然だ。


これが事実、ある国家同士の関係性である。



食品の「安心・安全」が叫ばれる時代。

いま一度、
この言葉に込められた意味を考えてみよう。

つまるところ、
「安心・安全」だといえない状況があるということだ。



狩猟民族も農耕民族も
飢餓におびえて食料の確保に必死になり、
文明は発達した。

そして食品がありふれる国では安心・安全を求める。


そして一方の国々でありふれるのは
飢餓の恐れだ。


安心・安全を叫ぶ以前の問題といえる。


これが文明の「発達」といえるのだろうか。

本来の文明の発達とは幸せや喜びを
増やすことにあるのではないか。


飢餓におびえる人たちは、
叫ぶ力すらも失っているだろう。



飢餓の心配がない国であろうとも、
恐ろしいものが潜んでいる。


放射性物質、食品添加物・農薬・
化学物質過敏症・電磁波過敏症・
アレルギー・遺伝子組み換えの食材……。


まさに「複合汚染」。

凄絶な現代の象徴が
いたるところで表面化しつつある。


原発の爆発同様、
起きてしまっては時すでに遅し、
なんてことにはなりたくない。



国家や使う人の思想によって
「安心・安全」をはじめとした
言葉の意味は真逆になる。

だからこそ、言葉の裏側を探る習慣をもち、
自分で判断することが大切だろう。


そして言葉だけでない本当の「安心・安全」とは、
それぞれの個性や力を尊重し、
排除することなく共存することなのではないか、
と様々な菌が共生し「発酵」する過程をみて思う。



しかし、TPPという船に乗って
新たな憂いが太平洋を渡ってくる日が
近づいているようにも思える。

黒船再来か。

どうする、ニッポン?



(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三
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2012年07月03日

自由の国≠ナの不自由な出来事B 「輸入する側とされる側」


アメリカ文化の輸入≠ェ多い日本。

主な動きは「黒船」からはじまり、
戦後GHQがその道を大きく切り開いたといえる。

通信や流通網の発達で
世界の距離が縮まったのは分かるが、
日本語を話しているのかと思うほど
日常の会話や文章での外来語が
占める割合は多くなっている。

試しに数えてみるとちょっとした発見がある。



言葉や文化の輸入と同時に、
当然食品の輸入も始まったわけだが、
結果として非常に奇妙な習慣も根付いた。


あるマンガで次のような印象的な言葉を聞いた


――(給食の場面で)米飯には牛乳よりもお茶の方があうと思う――


まさに現代の矛盾を突きさす表現だ。



しかも疑問に感じたのが小学生ときている。

作者は、分かっていた上での皮肉なのか……。



そこで原稿を書くにあたって18年ぶりに
「米飯に牛乳」を合わせてみた

――全然あわない。


不快のかたまりが芽生える味の不協和音だ。

栄養≠りきで考えた献立だろうが、
提案者は実際に食べて、飲んて、
摂取する側の立場にたったのかは疑わしい。


相手の「健康」を考えているのなら、
飲んだ時の感情などもしっかりと考えるのが
本当のやさしさだと思う。



輸入≠ノ頼る以前の文化は、
いったいどこに行ってしまったのか。

依存型の体制が依存型社会を作りだし、
農業や健康に対しても「なにか」に
依存せざるをえない状況を作りだしてしまった。


「複合汚染」からなる「複合被害」に
拍車はかかり続けている。


新型うつ病・アトピー・化学物質過敏症・
スティーブンス=ジョンソン症候群など、戦前はもちろん
日本にこれまで存在しなかった症状ばかりである。


食料などの輸入≠ニ関係があるように思える。



問題の焦点があいまいになり、
すぐ忘れるのが日本人の習性かもしれないが、
何かことが起こってからでは
悔しさも噛みしめることはできない。

表面化されてないだけで、
気づいていないだけで、
事実として苦しみにあえぐ人は実在している。



自国だけでは経済が
まわらなくなってきたアメリカが、
TPPとともに「負債」をおっかぶせて、
各国の文化と自主性を根こそぎ奪うのだろうか、

と悲観的に考えすぎたくもないが、
それで自己防衛できるなら、
念をいれてそう考えるにこしたことはない。


そのTPPの流れにのって、
この「食品安全近代化法」も流れ込み、
日本の農業および根幹たる
「食」=心身の健康=土の健康が奪われるシナリオは、
海を渡った遠くて近い国でいまこの瞬間にも、
書き換えられているかもしれない。


そういえば、BSE(狂牛病問題)はどこ行った。


(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三



次回、
「新たな『黒船』」に続く。
posted by ナチュラル・ハーモニー at 19:33| Comment(0) | ジャーナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

自由の国≠ナの不自由な出来事A 「なんでだろう」


275マイル(約470キロメートル)以内の消費者に
直接食品を販売し、過去3年間における年間売上が
50万ドル(約4000万円・2012年6月11日時点のレートで計算)以下の
小規模農家や加工業者は同法の適用が除外されるという。



これは年収でなく年商ということに注目すると、
さほど大きい金額ともいえない。


しかしアメリカ型大規模農業で
年間50万ドル以下の取引などの方が少ないであろう。

しかも小規模の有機農家や企業は、
大手以外が資本の手のひらで
踊らされ、つぶされ、切り捨てられ、
大手資本が独占的に牛耳れる仕組みができてしまう。


つまるところ、
今法律の施行によって小規模の有機農場は、
対立してきた会社に支配されてしまうということだ。


その「破壊」ともいえる支配は、農家の後継、
地域の雇用や食に触手を伸ばしている、
と悲観的に捉えることもできる。



管理するFDAは

――アメリカ国民の
自らの体の健康に対する基本的権利は無く、
希望する食品を入手するという基本的権利もない――

という考えのようだ。


なんとも恐ろしい管理社会か。


生きるために食べる、そして種をつなぐことは、
植物でも人間でも同じことだ。

しかしこの法案によって、
自家採種の種も「危険物」という括りで捉えられれば
取り締まりの対象となる。

個人が食料選択の自由を奪われるのと同じことだ。


大人になってまで
なにかに管理されなければ生きられないというのは、
生き物が本来もつ構造的にもおかしいと思う。


そして一手に握った企業が不健康な食料≠ばらまき、
市民は食べ、なかなか死なない程度に「不健康」になり、
クスリが投与され、医療業界が儲かる、
という紋切り型の式が起こらないことを強く願いたい。



また根本に持つべき考えとして、
資本主義であろうが、合理主義の国であろうが、
人間一人では何もできない。

今法案からは、
どこか血の通わない排除的な動きに感じてしまう。



自然界の動きとして、作用があれば反作用が起こる。

農薬が効かなくなったからさらに強い農薬を作る、
種を遺伝子組み換えして強くする。


しかしそのイタチごっこのやり取りの速度は増してきて、
埋め合わせの効かないほころびが生じている。



本質の原因を知って、その解決方法を
お互いにとことん話しあっていくのが
民主主義ではないのか。


業務団体の力が
それほどまでに強力ということなのか。


企業でも一個人でも、
全ての人は食べることはやめず、
全ての人が「消費者」である。


長期的視点をもって相手の立場にたてば、
自分がされてイヤなことは
相手もイヤだと気づけないのか。


国家を運営するような頭の良い人々が
そんな簡単なことができないのは、
なんでだろう。


(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三



次回、
「輸入する側とされる側」に続く。
posted by ナチュラル・ハーモニー at 13:50| Comment(0) | ジャーナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

自由の国≠ナの不自由な出来事@ 「近代化は安全か?」

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>“自由の国”の「自由島」にある「世界を照らす自由の女神像」



「食」に関連する重要なこと。

これは農薬や肥料の使用など
「見える」ものだけに限らない。

表示された原材料の出自や生い立ちなど、
「見えない」もしくは「見えにくい」もののなかにこそ、
私たちにとって重要なことが隠されている。


「私たち」という限定的な要素だけでなく、
時間軸では子供や孫など未来に渡り、
広い視野では地球環境全般につながってくる。



なぜなら、これだけ生物が存在する世界で、
一手に管理などしようという現象があるからだ。

私たちにとって危機となりうる現象が
自由の国≠ニ称される国で着々と進行している。



「食品安全近代化法(FSMA=Food Safety Modernization Act)」
という法律の施行が米国でせまっている。
(2012年7月4日施行予定)


その内容を要約すると、

原則として全ての食品は
食品医薬品局(FDA)の認証を受けた
食品関連施設を経由しなければ流通できなくなる。

対米輸出国の企業にも適用されるという。



その目的は――

予見可能な危害
(放射線の危害、自然界の毒、殺虫剤、薬物残留、腐敗、
自然発生ないし意図せずにもたらされる危害、寄生虫、アレルゲン)
などを予防すること。

また、意図的な汚染、不正表示をさせない予防管理措置――とのことだ。



原因があれば結果があるが、
この法案の施行に向かった背景はいったいなにか。

それは次のような論から始まった。

アメリカでは年間4800万人が食中毒にかかり
12万8000人が病院で手当てを受けて、
3000人が亡くなっている。

この3000人の死を防ぐために
施行するというのが物語の背景である。



確かに3000という人命は重い。

家族が一人でも亡くなることを思うと悲しいものだ。

いのちを割り切ることはできないが、
単純計算でさえも
3000倍の悲しみが存在するということになる。



しかし、ここで少し冷静になりたい。

一つの情報だけで判断せずに
他の情報も集めてみるとどうか。

FBIの報告では、
2008年の銃による死亡者は約3万人。


うち半数が自殺、そして殺人が1万人弱である。


これらの死者を減らすための
銃規制はなかなか進まないのに、
一方の対応はなぜか早い。

胸中にひそむ矛盾要素が浮き彫りになってこないだろうか。



「いのちの重さ」は比較できるものでもないが、
結果、この優先具合があるのはなぜか。

なにか「資本の論理」がからんでいるのか。

銃社会の規制よりも、「なければ困る(死んでしまう)もの」、
すなわち「食」を牛耳るなにかシナリオの一部のようにも感じる。


(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三



次回、
「なんでだろう」に続く。
posted by ナチュラル・ハーモニー at 17:42| Comment(0) | ジャーナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こんにちは、さようなら、そしてよろしく化学物質(生活環境の事実)@ 「はじめに@―引き金」


息が吸えない。


想像を絶する苦しみです。


数日間食事を摂取しないでも生きていけますが、
空気を摂取しないと数分のうちに息絶えます。

何かの目的で、自ら行っているのであれば
「覚悟」があるでしょう。


だけど自らの意思とは別に、
いつ何時その状況がおとずれるか分からない。

また、その状況が、いつまで繰り返されるか分からない……。




これは化学物質過敏症(chemical sensitivity = 以下CS)の
ほんの一部の症状です。

当たり前だと思う生活をしていたのに、
当たり前のことが当たり前でなくなる。


アレルギーと異なり、特定の物質だけでなく、
さまざまな化学物質に反応するようなり、
電磁波過敏症(「Electrical Hypersensitivity = 以下ES)が
併発する可能性も高い。


合成洗剤、柔軟剤、トレイの芳香剤、電車内のにおい、
排気ガス、新築の住宅や新しい家具のにおい、
農薬、携帯電話および電化製品が出す電磁波……。


昨日まで、便利の極みともいえた「文明の利器」たちが、
刃をむけて襲い掛かってくる。

容赦なく。えげつなく。




CS発症者数は成人で70万人、
子供を含めれば100万人以上だといわれています。

しかし、「気づいていない」予備軍を含めると、
各先進国では人口の10%以上だという声もあります。



思い当たるふしがないが、どこか体調が悪い。

慢性疲労だろう。ちょっとしたストレスか。

更年期障害、慢性疲労症候群、心因性、更年期障害……

などの言葉で片付けられて、理解者がいないまま、
原因が分からず、化学物質の暴露は続く。


いつしか身体が耐えられる許容量をあふれる。
あたかもコップの水があふれ出るかのように、
過敏症という名の水がじわじわと自分の足場を奪っていく。

一度発症してしまうと、その勢いに拍車がかかります。


問題になるのがアレルギーと異なり
広範にわたる種類の、かつ超微量(※)の
化学物質が「引き金」となる。

そんな現象が、事実として、私たちの周りで起こっています。


※50Mプールに角砂糖一つ分の
 化学物質に反応してしまうケースもあるほど。


(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三



次回、
「はじめにA――事実」に続く。
ラベル:天然住宅
posted by ナチュラル・ハーモニー at 02:57| Comment(0) | ジャーナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月21日

黒は美しい−表面だけに捉えられない考えることの大切さG(最終話) 「習慣化=安全」

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>物事は、さまざまな面から見ることができる



カラスの話を切り口に
印象・原因・結果・本質などを考察してみたが、
起因する多くは「情報」からくるものだ。

さもすると「隣りの芝生は青い」の喩えのように
人間が持つあるひとつの「習性」なのか。

情報量によるものか、習性によるものか断定でないが
非常に興味深い。習性だとしても、
自分の持ち分が少ないからこそ
幸運だと楽観的に考えられる人もいる。


それも考え方によって
新たな「習慣」とすることができる。

「みんなの言うとおり」ではなく、
追求心をもって自分なりの答えを出すのは
発見と成長の連続で面白い。


そして、その習慣をつけることも
「安全」に生きれることに置き換えることができる。

そのような姿勢で生きる人は
見ていて気持ちがいいし、
美しささえも感じさせられよう。



少なくとも観念の判断材料の元も
「情報」ということであれば、
印象が悪いと思われるカラスや黒に対しても、
はっきりと次のことが言える。

カラスも美しい。
黒も美しい。



(株)ナチュラル・ハーモニー 尹 東三
posted by ナチュラル・ハーモニー at 15:56| Comment(0) | ジャーナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月20日

黒は美しい−表面だけに捉えられない考えることの大切さF 「もとの姿」


人間の立場として少し考えたいこと、
いや考えなければならないことは、
それらのゴミ∞廃棄物≠ニいうものも
元々は生きる「いのち」であったということだ。

元々の「姿」であった「屍」なら
思いは変わってくるのだろう。

(犬・ねこ・狸などの路上に転がる死体を見ても
平然と通りすぎる人もいる。山で見る虫と、
家の中で見る虫とでは感情が違うという心理と同じか)


「肉」という「部分」になったために想像しにくいが、
動いて、呼吸をして、子孫を残す
という行動をしていた人間と同じく
生きとし生ける「いのち」だったということは
思考する際のフィルターとして持っておきたい。


人間の屍が転がっていたりするのなら別か……。

いや、状況によってはそれも当たり前≠ニなって、
自己防衛のごとく麻痺することもあるだろう。


カラスのしていることをただ拒んで、
忌み嫌っているだけでは何も見えてこない。

しかし客観的に「考える」という「意識」を持つことで、
世界はより一層ひらけてくる。



最初から自我のごとく相手を受け入れないという
意識のフィルターをかけてしまうと、
本質を読み解けず、学びも少なくなる。

自分が完璧など思わず、
謙虚な心を持って相手と向き合うと、
たくさんの気づきの連鎖が広がり世界も広がってくる。


その考えを持つと、
見るものすべてが人生の学びとなり、
人生の糧となる。

カラスに対しての感謝の気持ちや愛情など
違った感情が湧いてくることもあるかもしれない。


(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三



次回、
「習慣化=安全」へ続く。
posted by ナチュラル・ハーモニー at 16:09| Comment(0) | ジャーナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月19日

黒は美しい−表面だけに捉えられない考えることの大切さE 「『便利』な時代と『いのち』の行き場」


もう一つ、
カラスが多い原因として考えられる仮説がある。

それはゴミが多くなったということだ。


都市化によって本来住むべき場所が破壊されて
「食事」にありつけず本能的な欲を満たすため、
もしくはいつでも手に入る豪勢な食事が
街の中に転がっているための行動かもしれない。

事実、都市のカラスが増加した大きな原因は
生き残れるための「食料」が多くなったことも
原因の一つだと専門家はいう。


世界でも稀にみる循環型生活環境で、
無駄が少なかった「江戸」でさえも
カラスの被害≠ェあったことは先に述べた通り。

現代のようにいつでもどこでも食料がある
という状況ではなかっただろうが、
今ほど多く悩んでいたとは考えにくい。



時代は進んで現代。

コンビニエンス=ストアー、
日本語で「便利店」の名の通り、
ある意味では本当に「便利」な時代になった。

都心部であれば、
ほんの数十メートル歩けば
違うコンビニエンス=ストアーを見つけられる。

密集地帯≠ナは数メートル横にもあるという現象だ。



コンビニエンス=ストアーしかり、
食料がいつでもどこでも入るような
「便利」な状況になった反面で、
あちこちに食べ残しの弁当などの
生ゴミが散乱しているのを多々目にする。


はたして自分の家で
全く同じことをするのかと疑問に思う。

何も感じないのか。

ヒトのモラルの問題か……。

カラスのせいによって
損なわれる「美観」以前の問題でもある。


しかし一方で、
カラスにとっては「便利」な世の中だ。

目の前に生きるふちがある。

人間で考えるとお金であり、
食事とも置き換えられる。


本能の欲を満たすものがすぐに見つかる。

それはある意味で
心地よく安心・安全なことなので
離れられなくなるのは
カラスの行動を理解するにはよい材料ともいえる。


(株)ナチュラル・ハーモニー 尹東三



次回、
「もとの姿」へ続く。
posted by ナチュラル・ハーモニー at 10:35| Comment(0) | ジャーナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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